南無妙法蓮華経とは?日蓮や法華経を唱える宗派も紹介

2022.10.04

「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」は、日本人であれば誰もが知っているフレーズだと思います。お坊さんがお経を唱えるときに口ずさむフレーズであることは、周知の事実でしょう。

しかし、南無妙法蓮華経がどのような意味なのか分かる方は少ないかもしれません。そこで今回は、南無妙法蓮華経について掘り下げてみたいと思います。

南無妙法蓮華経とは

インターネットで南無妙法蓮華経の意味を検索すると、難しい言葉が並べられてしまい、仏教の知識がない方は結局何なのか分からないでしょう。そのため、南無妙法蓮華経はお経の一種と考えると分かりやすいかもしれません。南無妙法蓮華経を唱えている宗派は日蓮宗です。

南無妙法蓮華経の起源

仏教は仏陀を開祖とするインドから広がった世界宗教であり「苦悩から解放された涅槃の境地を目指す」という考えが根底にあります。時の流れに沿ってアジア全域に広まり、各地の文化や信仰と融合ながら、それぞれ独自の形態を発展させてきました。

仏教の教えは、さまざまな経典にまとめられています。仏の覚りの真実を伝えているのが「妙法蓮華経」です。「南無」とは、古代インド語のサンスクリット語が由来で「帰依する」という意味になります。つまり、日蓮が唱えた南無妙法蓮華経は「妙法蓮華経を信じ敬います」という意味です。

法華経とは

法華経とは、天台宗の根本経典です。平安時代に、最澄が中国に渡って学んだ天台宗の教えを日本に持ち帰り、日本天台宗を立てました。一方、日蓮は天台教学を踏まえつつ、自らの法華経観を構築していったそうです。

法華経は日本において、平安時代より釈尊の教えとして広く尊崇されてきました。仏教者は僧侶ともに仏果(仏道修行によって得られる成仏の結果:さとり)を目指すだけでなく、病気平癒や世間的繁栄、国家の安穏、死後の幸福、死者への追善供養のため盛んに法華経を読誦し、書写に努めたそうです。

学僧たちが法華経を講じ、議論を交わす一方、芸術家は好んで法華経の教説を絵画によって表現し、また知人はその公徳を説話や詩によって表現しました。

日蓮の教え

日蓮宗の開祖である日蓮は、南無妙法蓮華経を唱えることで、人々が現世の苦難を乗り越えられると説きました。ここでは、日蓮の教えである二乗作仏の教えについて解説します。

二乗作仏の教え

日蓮は伝統的な天台宗の法華経注釈を基本に、法華経には他の経典では説かない2つの優れた特徴と着目すべき点があると見なしました。その1つが二乗作仏の教えです。

声聞・縁覚(※)の二乗を成仏できることが、二乗作仏の教えといわれています。声聞・縁覚とは、いわゆる小乗仏教(※)における修行者のタイプで、生死の輪廻の苦しみから離れて、涅槃と呼ばれる自己の解脱を目指す人々のことです。

大乗仏教の立場においては、輪廻の世界に自分の意思で残り、他人の救済のために尽くす菩薩よりも劣るとされ、法華経以外の大乗経典では成仏出来ないと考えられていました。しかし法華経では、仏が声聞・縁覚という仏道修行のあり方を説いたのは、修行者が仏教を理解するための方便(手だて)であり、菩薩と同じように法華経の一仏乗に含まれるからだそうです。

※声聞:仏の説法を聞いて悟る人。元来、仏弟子を意味したが、後には自利のみを求める小乗の修行者として、大乗仏教の立場から批判されるようになった。
※縁覚:師をなくてして十二因縁(生存の苦の原因を12段階に分けて説明したもの。無明・行・識・名色・六処(六入)・触(そく)・受・愛・取・有・生・老死の12項。あるいは、他の縁によって真理を悟った人。
※小乗:衆生済度を忘れ自己の解脱だけを求める声聞や、縁覚の立場を大乗の立場から批判的に名付けたもの。

末法のための教え

日本の中世に生きた人々は、自分たちが末法の世に生を受けた衆生であるという思いを抱いていました。仏教経典によると、仏の滅後、正しい教えは次第に伝わりにくくなり、人々の機根、すなわち仏道能力も低下し、物価を得たり仏の救いに預かったりする人も少なくなるといわれています。これが末法思想です。

こうした時代相を背景に、日蓮の活動は、法然によって唱導された専修念仏(ひたすら阿弥陀仏の名を称える)に対抗・対立する形ではじめられました。

法然は、末法に生まれ合わせた衆生は生来無智であり、罪障深き身であるから自力によって仏道を修することはできず、西方十万億土の彼方にいる阿弥陀仏の極楽浄土に往生し、そこで初めて仏果が得られると教えました。

これに対し日蓮は、法然は末法の衆生の能力が劣っていることのみを理由にして、釈尊自身が示された実教と権興、真実と方便の教えの相違を見落としていると反論したそうです。釈尊自身が、法華経の開経である無量義経に「(法華経が説かれるまでの)四十余年には未だ真実を顕さず」と説き、法華経以前に説かれた法門(衆生の仏法に入る門)は方便の権教であり、その中に位置付けられる念仏の行は、釈尊の真意を表していないと反論しました。

日蓮の批判は、同じ観点から念仏信仰のみならず、禅宗や律宗、密教へも及んだそうです。また、日蓮が法華経を拠り所とすべき経典にしたもう1つの理由は、仏種を明かす唯一の経典だったためです。

末法に入る以前の衆生は、すでに過去世で仏種を授かった本意有善の衆生であるゆえに、念仏や禅といった権教を拠りどころとする修行を通して、仏果を得るための過程を歩むこともできました。しかし、末法に生まれ合わせた人々は、過去に一度も仏種を授かったことのない本来有善の衆生であり、いかに真摯に修行に励もうとも、法華経以外の権経を拠りどころとする限りは、仏果を得る道は開けないと説いたそうです。

日蓮は教行証御書の中で「本門の肝心、寿量品の南無妙法蓮華経を以って下種と為すなり
」と論じています。

南無妙法蓮華経を唱える宗派5選

お経で南無妙法蓮華経を唱える宗派は、いくつかあります。ここでは標的な宗派を5つ確認しておきましょう。

1.日蓮宗

日蓮宗は日蓮を開祖とする仏教の宗派で、日本仏教十三宗の1つでもあります。

日蓮は鎌倉時代の僧で、安房国片海(現、千葉県小湊)が出身地です。はじめは天台宗を学び高野山、南都等で修行。仏法の神髄を法華経に見出し、1253年(建長5年)に清澄山で立教開宗を宣言します。

他宗を攻撃し「立正安国論」の主張により伊豆へ流されましたが、赦免後も言動を改めず佐渡に流されました。1274年(文永11年)赦されて鎌倉に戻り、身延山を開きます。その後、武蔵国池上にて生涯を終えたそうです。(広辞苑より一部抜粋)

なお、南無妙法蓮華経は日蓮宗三大秘宝の1つとされています。

2.日蓮正宗

日蓮宗の一派である日蓮正宗は、静岡県の大石寺を総本山にしている仏教の宗派です。日蓮正宗の教えは、日蓮宗の教えとほぼ同じのため、お経の際には南無妙法蓮華経を唱えます。

ただし、日蓮正宗では日蓮を本仏として信仰の拠り所にしている点が、日蓮宗との大きな違いといえるでしょう。

3.創価学会

創価学会とは、日蓮の仏法を信奉する仏教団体です。創価学会は日本のみならず、世界192カ国・地域と広く信仰されています。

「創価」は価値を創造するという意味だそうで、万人の幸福と世界の平和という2つの価値を創造することが信仰の目的だそうです。また、創価学会全体では南無妙法蓮華経を唱え、祈ることで「人間革命」と「自他共の幸福」の実現を目指しています。

なお、創価学会のご本尊は、南無妙法蓮華経の文字曼荼羅です。

4.立正佼成会

立正佼成会とは、1938年に霊友会から独立した日蓮系の新興宗教です。立正佼成会は先祖供養を重要視しており、法華三部経や新釈法華三部経などを経典として使用しています。会員数は約600万人と非常に多く、新興宗教の中では創価学会に次ぐレベルといえるでしょう。

5.霊友会

霊友会はもともと日蓮宗系の宗教だった宗派が、1930年に独立して創立された新興宗教です。霊友会は立正佼成会と同様、先祖供養を重視しており、法華経を信仰の拠り所としています。南無妙法蓮華経の曼荼羅に、法華三部経を唱えることが一般的です。

まとめ

我々日本人にとって馴染み深い南無妙法蓮華経には、「妙法蓮華経を信じ敬います」という意味があります。現在でも葬儀はもちろん、さまざまな仏教の宗派における信仰で唱えられているお経です。

葬儀の際、南無妙法蓮華経が唱えられるのは、故人様が無事に成仏できるようにという祈りも込められているのでしょう。お経に込められた意味を知ることで、葬儀がより趣深いものになるので、他のお経について見識を深めてみるのもよいかもしれません。