お墓の歴史を振り返る 昔のお墓の種類や形状、墓石などを解説

2022.05.26

私たちの心の拠り所といえるお墓。お墓は私たちの生活の中に浸透し、お盆やお彼岸になれば、多くの方が先祖のお墓参りに足を運びます。

お墓は自分のご先祖様から継承し、次の世代にバトンが渡されていくものです。しかし、その先祖のお墓は、いつ頃からあったのでしょうか。また、現代のお墓は、いつ頃から今の形になったのかについても気になるところでしょう。

そこで今回は、お墓の歴史をその発祥から振り返り、見識を深めていきたいと思います。

昔のお墓の墓石や形状は?お墓の歴史

日本におけるお墓の歴史は非常に古く、太古の昔からさまざまな形で建てられてきました。お墓の歴史を時代ごとに振り返ってみましょう。

縄文時代

お墓の歴史をさかのぼると、約15000年前から約2300年前の縄文時代から始まったといわれています。縄文時代は土葬でした。地面に穴を掘って、身体を折り曲げた状態で埋葬していました。

古墳時代

古墳時代と呼ばれる今から1800年前の3~4世紀頃は、その名前通り大規模な古墳と呼ばれるお墓が造営されるようになりました。ただし、これらの古墳は天皇や貴族、地方の権力者などのお墓です。したがって、一般庶民は依然として土葬のままでした。

平安時代

平安時代になると仏教の普及により、一部貴族の間では火葬が取り入れられるようになりました。その結果、お墓の小規模化が進みます。

鎌倉時代

鎌倉時代には、一般庶民の間にも火葬が浸透します。しかし、現代のように墓石を立てるという概念はありませんでした。

火葬した後の遺骨を棺や小さな入れ物に入れた後、土中に埋める方式です。したがって、その上に墓標となるものを置くことはありませんでした。

江戸時代

江戸時代になると、なぜか再び土葬がメインになります。理由は定かではありませんが、仏教における輪廻思想の影響があるのではないかといわれています。

遺体を死装束で棺桶に納めて土中に埋葬し、その上に土を盛り上げた土饅頭(どまんじゅう)の形にするようになりました。そして、武士のような階級の高い方のお墓には、木や石で小さな塔が立てられ、それが徐々に庶民にも広がっていきます。

明治時代

明治時代に入ると、公共の墓地である青山墓地や天王寺墓地などが作られ、それが全国に広がっていきました。

江戸時代から明治時代へ移り変わるときに、宗教に対する考え方も変わり「どこのお墓でなければならない」という固定観念が崩れ始めました。つまり、どの宗教が管理する墓地でも、あるいは宗教が関わっていない墓地でも埋葬されやすくなったのです。

埋葬方法も土葬から再び火葬に変わります。ある程度の面積を必要とする土葬は、急速な産業の発展により地価が高騰する都会では難しくなったためです。

大正時代

大正時代には各自治体が火葬場を設け、地方でも火葬が一般化しました。ただし昭和初期までは、人口の少ない地域や島などでは、土葬と火葬が並行して行われていたそうです。

現在

現在のお墓は、墓地に墓石を建て、火葬したご遺体を埋葬するスタイルが一般的です。

ただし、お墓のスタイルは多種多様で、伝統的な和型のお墓以外にも、洋式のお墓を選ぶ方もいます。宗教や価値観が多様化したことによって、人々はより自分にあったお墓を選べるようになりました。

また、納骨堂や樹木層、散骨など、お墓以外の埋葬方法も増えたことで、お墓選びの選択肢がかなり増えています。

なお、現在の埋葬方法については、以下の記事で詳しく解説しているので参考にしてみてください。

関連記事:納骨と埋葬は違う?!両者の違いと種類を紹介

ヒトがお墓を作る理由

ヒトは大昔から当たり前にお墓を建ててきましたが「なぜお墓を作るのか」と考えたことはありませんか?本章では、ヒトがお墓を作る理由について、掘り下げてみたいと思います。

宗教的な意味合い

お墓の歴史を語るうえで欠かせないものが「なぜお墓を建てるのか」という理由を知っておくことです。

ヒトが亡くなるとお墓に入るのが当然と思っている方も多いしょう。しかし、お墓を建てなくてはいけないという法律はありませんし、義務づけられているわけでもありません。

したがって、お墓は「決まり」というよりも、宗教的なものと考えてよいでしょう。日本人の多くは「仏教」を信仰しています。仏教においては「お墓に埋葬し供養することで魂が浄化され成仏する」と考えられているため、お墓を建てて埋葬することが習慣づいているのです。

時代によって変わるお墓の在り方

現在のようなお墓が建てられるようになったのは、江戸中期頃かといわれています。では、それ以前はどうしていたのでしょう。

「日本最古のお墓」といわれるものが、北海道で発掘されました。旧石器時代のもので、現在国の重要文化財に指定されています。

前述したように、縄文時代のお墓は火葬などが行われず、そのまま土に埋葬するものでした。大きな石を死者に抱えさせて埋葬することもあったようです。

当時「死者は恐ろしいもの」と認識されており、死後埋葬してから生きている人間に悪さをしないように、そのような形で埋葬していたようです。縄文時代以前の埋葬方法は明らかになっていませんが、縄文時代から死者を埋葬する習慣があったのは確かでしょう。

各地に古墳が残されていますが、それは「天皇」など位の高い方のお墓です。日本で代表的な古墳といえば、仁徳天皇陵の前方後円墳が思い出されるでしょう。

一方、一般庶民は縄文時代の埋葬法で分かるように、基本的に「土へ還す」という考えでした。土葬の前は「風葬(遺棄葬)」と呼ばれる、草むらや森などにそのまま亡骸を放置する方法が一般的だったそうです。

「風葬→土葬」を経たことによって、今度は石や樹木をお墓に見立て、その下に埋葬するようになりました。そのようなお墓が見られるようになったのは江戸時代です。亡くなった方を土葬した上に、樹木や石を置いたものが、現在のお墓の前身ではないかといわれています。

大正時代になると、土葬から火葬へ移行し始めます。急に火葬へと変わった理由は「墓地不足」だったと伝えられています。

火葬されるようになった大正時代から昭和初期にかけて、徐々に現在の形のお墓が建てられるようになりました。よって、庶民のお墓が現在の形になってから、それほど年月が経っていないことが分かります。大正時代以前のきちんとした庶民のお墓は、ほぼないに等しいといえるでしょう。

火葬してお墓に埋葬するようになった大正時代から昭和初期にかけて、寺院墓地や公営墓地だけでなく、郊外型の大型公園墓地ができはじめました。緑豊かな墓地は、都市に住居を構える方からも高い人気を誇った点が特徴です。

多様な選択肢がある現在

現在は自分で自分が入るお墓である生前墓を建てる「終活」が話題になっています。

先祖代々のお墓がない場合に、自分達(夫や妻)が入るお墓を生前に建てておくことです。縁起が悪いと思われがちですが、生前にお墓を購入することを中国の言葉で「寿陵(じゅりょう)」と呼び、おめでたいものと考えられています。

お墓がないまま亡くなってしまった場合、残された方がお墓を建てなくてはなりません。子どもやご親族に迷惑をかけないようにと考案されたものが、終活の一貫で生前にお墓を建てることでした。

ただし「お墓は必要ない」と考える方もいます。なぜなら、今はさまざまな供養方法があるためです。散骨や樹木葬、納骨堂、永代供養墓など、自分が好きな供養方法・埋葬方法を選べる時代になりました。

現在は偉い偉くないは関係なく、平等に供養される時代です。新たにお墓を建ててもよいですし、ご先祖様が眠るお墓に入るのもよいでしょう。また、あえてお墓を建てずに、散骨や樹木葬を選ぶ方法もあります。

そんな自由な時代になったからこそ、生前に自分の行く末をしっかり考えておくべきかもしれません。

墓石の形状について

お墓の変遷とともに、墓石の形状も時代によって変わってきました。時代ごとの墓石の特徴を紹介します。

縄文時代~鎌倉時代の墓石

縄文時代は、遺体の身体を折り曲げる屈葬で埋葬され、その上に大きな石が乗せられていたそうです。また、大昔は死者が恐ろしいものと考えられていた為、石を乗せて出てくれないようにしたという意図もありました。

現在のような、いわゆる「墓石」と呼ばれるものは、仏教の伝来とともに日本に持ち込まれた文化だといわれています。平安時代の上流階級のお墓には、五輪塔や多宝塔、宝篋印塔といった墓石が立てられたそうです。

位牌や戒名の文化が伝わったのは、鎌倉時代から室町時代にかけてでした。この頃には、現在のような形に近い角柱型の墓石や位牌型の板碑が登場しています。

江戸時代~明治時代の墓石

江戸時代には檀家制度によって、一般庶民のお墓にも墓石が立てられるようになりました。

武士のお墓には板塔婆(いたとうば)や石塔婆(いしとうば)などが立てられた一方、一般庶民のお墓にも、卒塔婆(そとうば)や墓石を墓の上に立てられたそうです。ただし、当時の墓石は、故人別に戒名を持つ個人墓や夫婦墓が一般的でした。

明治時代になると家制度が確立します。この影響により、家単位で墓石を立てることが一般化しました。そのため、戒名も現在のような「○○家先祖代々之墓」と彫られたものへと変わっていきます。

現在の墓石

現在、お墓は多様化しましたが、トレンドはあります。近年のトレンドは、御影石で墓石を作ることです。御影石が一般的になったのは、この30年くらいでしょう。

以前多かったものは大谷石です。大谷石は材質が柔らかく墓石に加工しやすいため、墓石として重宝されていました。しかし、阪神淡路大震災や東日本大震災によって、多くの墓石が倒壊し、大谷石で作られた墓石が崩壊してしまったことを契機に、頑丈な御影石が用いられるようになったのです。

現代の墓石は江戸時代から続いている縦型の和型墓石を軸にしながらも、横長の洋型墓石が増えてきています。霊園では、8割程度が洋型の墓石です。その理由として、石材が少なくて済むことや(和型より金額が安い)、背が低いため周囲が明るくなること、石をさまざまな形にデザインできることが挙げられます。

墓石が大谷石から御影石に変わったことと同じ理由で、洋型墓石のほうが壊れにくい形であることも大きいです。和型墓石に比べて、多少の地面の揺れがあっても台座から落ちにくい形状になっています。

さらに、和型墓石では南無阿弥陀仏などの念仏や「〇〇家の墓」というように、刻む言葉が決まってしまいますが、洋型墓石であれば、宗教や決まりごとにとらわれない自由なメッセージを彫ることが可能です。もちろん、色や石材も自由に選べます。

お墓を石材で建立する3つの目的

お墓を石材で建てる目的は、大きく3つあるといわれています。それぞれの内容について解説するので、確認しておきましょう。

1.耐久性の高い石材で末永く時代をつなぐ

お墓は命の軌跡をつなぐ役目を持っているため、耐久性の高い石材が使われたといわれています。

お墓は先祖代々および未来へと、場合によっては何百年と残っていくものです。そのため、腐食しやすい素材は、適していなかったという一面もあるのでしょう。

また、昔は現代のように火葬ではなく土葬が主流だったため、死体を埋葬した土を動物に掘り返されることもあったようです。こうした理由から、簡単には動かせない頑丈な石材が選ばれました。

2.古代から石は神秘的かつ神聖な意味合いがあった

古代より石は神秘的で神聖な意味合いを持っていたからこそ、お墓の一部に選ばれたともいわれています。

日本最古の歴史書「古事記」には「イザナギノミコト」と「イザナミノミコト」と呼ばれる夫婦の神様が離婚する際、黄泉の国と現世を仕切るものとして大きな石(千引の岩:ちびきのいわ)を使ったという伝承があります。これがお墓に石を使った起源ではないかという説もあるようです。

3.大地から生まれた自然のぬくもりを感じるもの

大地から生まれた自然のぬくもりを感じる墓標として、石が選択されたともいわれています。ヒトは地球上で生まれ、地球上で命果てていくものです。自然の摂理のなかで弔い、地球そのものの自然なぬくもりを感じるために、石が適していると考えられたのかもしれません。

まとめ

お墓は15000年前の縄文時代に始まり、江戸時代には原型ができたといわれています。

さまざまな時代の流れによって変わったお見送りの方法。また、お墓に石を利用する理由は諸説ありますが、一番大切なことは故人様を弔う目に見えない心の温かさです。

今後のお墓の展開は、現代の自由な価値観を反映して、さらに大きく変わっていくことが予想されます。しかし、いつの時代にも変わらないことは、生前のお姿を偲び、故人様への感謝の念を忘れないことでしょう。

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