葬儀の歴史を知りたい!現在はどんな種類があるのか?

2022.03.01(最終更新日:2022.03.14)

葬儀は人間にとって欠かせない儀式のひとつであり、大昔から形を変えて実施され続けています。現在は故人様のご遺族や知人、友人などが参列するお通夜やお葬式を経て、火葬場でお見送りすることが一般的な葬儀のスタイルです。

しかし、過去の葬儀は現在のものとは、大きくスタイルが異なります。そこで今回は、葬儀の歴史について掘り下げつつ、現在はどのような葬儀があるのか紹介します。

葬儀の歴史

白い花が咲いている

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死について考える動物、埋葬を行う動物、葬儀を行う動物。地球上には多くの種類の動物が存在していますが、仲間の死をどのように捉えているのでしょうか。

高度な知能を持つ動物の一部は、仲間の死を悼むことがあります。例えば、猿や象、馬など社会生活を営む動物の中に仲間の死を悼む行動が見られるようです。しかし、仲間の死を悼む動物はいても、仲間を埋葬する動物はほとんどいません。

最近の研究では、一部の動物が仲間の遺骸を埋葬しているという研究結果が出ています。鳥類の一部や象などが、死んでしまった遺骸を草木などで覆い埋葬しているという報告があったそうです。また、犬や猫などが、仲間の遺骸を土に穴を掘って埋めているという光景も見られています。

しかし、葬儀となるとどうでしょう。

葬儀とは、死者に関係する仲間が集まり、その死を悼むために何らかの決まった形式の儀式を行うことです。この儀式を行う動物は人間だけです。それゆえ、葬儀は人間という種のアイデンティティのひとつといえるでしょう。

日本における葬儀の起源

テーブル, 窓, 花, 建物 が含まれている画像

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日本における埋葬の起源は、今から約1万年前の縄文時代にさかのぼります。

原始時代の日本での埋葬方法は屈葬でした。屈葬とは、死者の手足を折り曲げた状態で穴を掘って埋葬する埋葬方法です。場合によっては、その遺体に岩石を抱かせているものもありました。

しかし、なぜ原始時代の日本人がこの方法で埋葬したのか、その理由は未だにわかっていません。穴を掘る労力を省くため、死者の霊が悪さをするのを防ぐため、死者がよみがえってくるのを防ぐためなど、さまざまな推測がされています。

後に時代が進んでいくにつれて、土葬の形態は世界的にみても一般的な埋葬方法である、
寝転がった姿勢での埋葬、伸展葬に変化していきます。

飛鳥時代の葬儀

古墳時代の末期と飛鳥時代初期は年代がかぶっており、飛鳥時代でも古墳は作られているものの、葬儀文化において大きな変化が起こっています。

聖徳太子が618年に自分の墓を建てたという記録があり、その墓も古墳でした。しかし、646年に出された「薄葬令」によって、古墳の大きさや築造にかける期間、人員などが細かく制定されるようになりました。これにより、古墳時代初期のような大型の古墳は作られなくなったそうです。

701年に制定された大宝律令以降は、三位以上の身分をもつ者だけに古墳を作ることが許されました。この頃、庶民に対しても埋葬に関する規定が定められていたそうです。庶民は一定の範囲の葬所を利用し、複数の場所に散埋することは許されなくなりました。

奈良時代から平安時代の葬儀

奈良時代に入っても、墓は依然として首都の外部に作られていたようです。おもに首都周辺の山野や川原などが庶民の葬られる場所だったと伝えられています。

一方、平安時代に入っても同じ状況が続きますが、「高野納骨」と呼ばれる火葬した骨や髪の毛を高野山へ納める儀式が頻繁に行われたそうです。当時の葬儀には仏教の影響が色濃く反映され始めていたことから、当時の人々は弥勒の浄土であった高野山に納骨されたいと願ったのでしょう。

鎌倉時代から室町時代の葬儀

鎌倉時代になると、火葬による葬儀が始まります。浄土宗や浄土真宗に代表される鎌倉仏教が世の中に浸透した影響により、本格的な葬儀が行われるようになりました。ただし、火葬の技術が未成熟だったこともあり、遺体を完全に燃やすことができなかったため、しばらくは火葬と土葬が並列で行われた時期もあったようです。

室町時代に入ると、ようやく首都内に墓を作ることが許されるようになりました。これが後の寺院墓地の始まりといわれています。ただし、寺院に埋葬することは許されていなかったようです。

江戸時代の葬儀

江戸時代になると本格的な仏式の葬儀が行われるようになります。江戸幕府が1665年に発令した寺請制度の影響で、すべての人々がいずれかの寺院の檀家になることが義務付けられたことが理由です。

故人の亡骸の横で僧侶による枕経があげられ、ご遺体を沐浴、剃髪した後、白衣を着せて納棺まで行っていたそうで、現在の葬儀のスタイルにかなり近くなっていることがわかります。また、棺の中に副葬品を入れる文化も、当時には行われていたようです。なお、浄土真宗では火葬、それ以外の宗派では土葬が一般的でした。

明治時代~大正時代の葬儀

明治3年にすべての寺院墓地が国有地となり、明治5年には法律によって自葬祭が禁止されました。これにより、葬儀はすべて神主や僧侶によって行われることになったそうです。また明治初期は、仏教の排斥と神道の推奨から火葬禁止令が出され、火葬が行われなくなりました。

しかし、火葬再開を望む声が多かったことに加え、土葬用の土地が枯渇してきたことから、火葬禁止令は2年で撤回されることになります。その後は、衛生的な観点から火葬の有用性を認め、火葬が義務化されるようになりました。さらに、この頃から欧化のあおりを受け、喪服が白から黒へと変化していったそうです。

大正時代に入ると霊柩車が庶民の間でも使用されるようになり、輿を使った人力での葬送は徐々に見られなくなっていきました。こうしたこともあり、現代の葬儀の原型は大正時代の頃にできたものだといえるでしょう。

現代における葬儀の種類

花が飾られた部屋

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現代における葬儀は、さまざまな種類が存在します。一般葬や家族葬などポピュラーな葬儀だけでなく、一日葬や生前葬など、人々のライフスタイルや価値観の変化に合わせて生まれた葬儀があることも興味深いところでしょう。

一般葬

一般葬とは家族や身内だけでなく、会社関係者や友人、ご近所の方など、故人と生前に関係のあった一般の方にも参列して頂き、大規模に執り行う葬儀のことです。1日目にお通夜を、2日目に葬儀式・告別式と火葬を執り行うのが通例となっています。

なお「一般葬」という名称は、家族葬の認知度が広がった際に、小規模な葬儀を「家族葬」、従来の大規模な葬儀を「一般葬」と区別したために「一般」という名称が付いたと考えられているようです。

家族葬

家族葬とは家族や親せき、故人と特に親しかった方が中心となって参列する葬儀形態です。一般葬よりも規模が小さく、落ち着いた雰囲気の中で、故人のことをよく知る人たちだけでゆっくりとお別れができます。

家族葬にはお通夜や葬儀・告別式もあり、一般葬と流れや内容に大きな違いはありません。なお、家族葬というと「家族しか参列できないのでは……」といった心配をする方もいらっしゃるようですが、家族以外の方も参列できます。

一日葬

一日葬とは、通常の葬儀におけるお通夜を省き、葬儀・告別式と火葬を1日で執り行う葬儀のことです。1日で葬儀を終えられるため、喪主やご遺族の負担が軽くなる点が特徴といえます。身内のみでひっそりと葬儀を執り行いたい場合にも適している葬儀形態です。

ただし、一日葬は比較的新しいスタイルの葬儀ということもあり、菩提寺の許可が必要な点に注意しましょう。場合によっては一日葬の実施許可が下りない場合もあるため、事前に菩提寺に実施の可否を確認しておくことが必須です。

直葬・火葬式

直葬・火葬式とは、お通夜や葬儀・告別式を執り行わない葬儀形態で、近年急速に増えつつあります。故人とのお別れは、火葬場の火葬炉の前で簡単な形で行われるのが一般的です。

こうした葬儀のありかたは、経済的に余裕のない方を対象に、葬儀社が自社プランにない葬儀としてかつては執り行われていました。しかし、現在では「直葬」や「火葬式」という名称が与えられ、費用の安い葬儀プランとしてインターネット上でも広く紹介されるようになっています。

社葬

社葬とは、企業や団体において高い功績を残した人物を讃えるために行なわれる葬儀です。
実施するのは企業や団体で、数10名程度の小規模なものから、場合によっては1,000名を超える大規模な社葬が行われることもあります。

社葬は企業の創業者や重役などが亡くなった際に、実施されることが一般的です。社葬が実施される会場は斎場や寺院、ホテル、企業が所有するホールなど、多種多様な点も特徴だといえるでしょう。

生前葬

生前葬とは本人がまだ生きているうちに、家族や親戚、友人、知人を集めて、自らが喪主となって開催する葬儀のことです。本人の意向が直接反映されることが生前葬のメリットであり、葬儀のスタイルも自由に決められ、マナーも畏まったものにならないことが多いでしょう。

本人がこれまでお世話になった人々と直接触れ合い、お別れの挨拶をするという目的で実施されることが多いようです。ただし、生前葬を実施した場合でも、通常の葬儀が行われないわけではありません。そのため、葬儀にかかる時間とお金の負担が大きくなる点は、生前葬のデメリットだといえます。

市民葬(区民葬)

市民葬(区民葬)とは、全国の自治体が市民や区民向けのサービスとして実施している葬儀のことです。市民葬(区民葬)を実施するための所得制限はなく、該当する自治体に住んでいる方であれば、どなたでも利用できます。

市民葬(区民葬)は簡素ながら、安価に葬儀を実施できる点がメリットです。ただし、自治体と提携している施設のみでしか葬儀が実施できない点や、施設の空きがない場合は、好きな日程で葬儀が行えない可能性がある点がデメリットだといえるでしょう。

お別れの会(偲ぶ会)

お別れの会(偲ぶ会)とは、遺族や親族のみで行う密葬の後、友人や知人などを招いて行う葬儀です。おもに芸能人などの著名人が亡くなった際に行なわれる場合が多いですが、最近は一般の方でもお別れの会(偲ぶ会)を実施するケースが増えています。

故人と交流のあった方が、お別れができる点がお別れの会(偲ぶ会)のメリットである反面、人数が多いと場所やスケジュールの調整が大変なうえに、費用も多額になる点がデメリットです。お別れの会が実施される場所は、故人とゆかりのある場所で実施されることが多く、斎場やホテルといった場所に限らず、カフェやレストランなど、さまざまな場所が考えられるでしょう。

歴史とともに形を変え、今も行われ続ける葬儀

ピンクの花

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葬儀は人々の価値観やライフスタイルによって、大きく変化してきました。また、我が国の葬儀における仏教の影響は、かなり色濃いものだということも分かっていただけたでしょう。

しかし、故人を慈しみ、慈愛をもって送り出す葬儀の根本は、昔も今も変わっていないと思われます。葬儀という人間独自の文化は、今後も時代とともに形を変え、行われ続けるのでしょう。